空白雑記

暇つぶし

ネトゲ戦記 第二部「豚小屋ではない」

決起会の週くらいだったと思うが、コアメンバー(水原,谷直史,福永尚爾,入倉孝大,相川雄太)だけで谷直史さんの家で夜中に集まって家飲みをした。どういう経緯で家飲みをする事になったかうろ覚えだが、谷直史さんが一回コアメンバーだけで家飲みをしようと声がけした

 

谷直史さんの部屋は相当広く、ベッドルームにはブランドものの服の袋がベッドの上一面に積まれていた。リビングの隅にせんべい布団がしかれて、そのまえに小さいテレビとゲーム機があり、そのまわりに食べ物やゴミが散乱していた。掃除されている風はない

 

掃除が苦手なんだなあとか思ったが、それよりもコアメンバーだけで集まって飲むというのが初めてでウキウキしていたのを覚えている。コンビニで買ってきたチューハイとツマミを床に広げて、円になって座った。相川雄太は離れたところの背の高い椅子に座り、こっちをニタニタ見ていた。相川雄太はいつもこうだ

 

彼と谷直史さんと福永尚爾と入倉孝大で、順番に、身の上話とか、なんで新会社設立に乗ったかとか、夢の話とか、とりとめなくコアメンバーがしそうな話をした。相川雄太だけは自分のことを殆ど話してなかったと思う。相川雄太はいつもこうだ。

 

だいぶベロベロになったくらいで、入倉孝大は疲れから寝てたかな?彼と谷直史さんと福永尚爾だったかな、本当に記憶が朧げなんだが、まだ起きてたメンバーで、「俺たち、やろうな」みたいな曖昧な言葉で乾杯した気がする。気がするだけだ。彼の夢の中での話かもしれない。

 

彼が先陣を切ってgloopsを辞めたあと、谷直史さんと福永尚爾は有給消化期間に入ってたと思う。他に参加するエンジニアやイラストレーターも順次やめるが、入倉孝大と相川雄太は仕事もないからギリギリまでgloopsに残って「gloopsの給料をもらい、仕事は無難な範囲でこなしつつ、グラニの準備をする」ことになった。

 

今考えてみると、何故スタートアップの初期に仕事がないような入倉孝大と相川雄太がコアメンバーに参加してるんだ?と思う。谷直史さんが気に入ってるから以外の説明を彼は思いつかない。相川雄太は本当にわからない。入倉孝大は彼がくるまで谷直史さんの手となって、徹夜してマスタを仕上げてたらしいからわかるのだが

 

ただ逆に、入倉は谷さんや彼が辞めた後の唯一残った谷組の企画(redで彼の部下だった2名は除外する)だったので、gloops社内では入倉だけが辞めないなら、彼をとりこもうと動いたろうし、グラニを訴えようとする動きとかも入倉ごしに察知できたり内容をしれたのかもしれない。

 

谷直史さんの説明では、purpleは彼が設計するのだから仕事はないし、入倉孝大くんにはディレクターとしての仕事を経験させておいたほうがいいということだった。残った入倉孝大はオーディンバトルのディレクターをやってたらしい。といってもオーディンバトルは今更新しく作るようなことは無かったように思うが

 

グラニという社名は、登記をする直前に谷さんが決めた。また北欧神話ネタだった。名前に興味がない彼はどうでもいいので賛成した。このグラニのロゴは、参加する予定だったが途中で消えたデザイナーが作成した。谷さんはそのデザイナーを気に入ってたので、消えたあたりで落ち込んでたように思う

 

社名が決まって、登記もしたころ、会社の社屋が決まった。六本木にある住宅だった。普通の、のべ面積60平方メートルくらいの、2LDKで3階建の、普通の家だった。普通のオフィスを借りる余裕は無かった。相川雄太はこれを後に豚小屋と呼んでいたが、誰も豚小屋などとは呼んでいなかった

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新社屋の鍵の受け渡しが終わり、動けるメンツだけで下見に集まった。これが俺たちの城かとキャイキャイ騒いでたのを覚えている。みんなは2階のリビングで床に座って雑談していたが、何故か相川雄太は3階との階段に座って皆を見下ろして写真をとっていた。相川雄太はいつもこうだ

 

1階は風呂とトイレで、2階がリビング、3階には2部屋という間取りだった。ここに、ミッチミチに机を並べて12人くらいが働いた。2階はエンジニアと企画と谷直史さんの男たちの部屋で、3階の片方はイラストレーター女性2人の部屋、もう一方は後から合流したFlasherとデザイナーの部屋だ。

 

あまりにミチミチに机を並べたから、一席、席を後ろに大きく引くと階段に落ちるというやばすぎる席も生まれた。この席は、一番行儀がいい入倉孝大が使った。彼はその隣の、階段の横の柱にぶつかる席だった。何回か柱に後頭部をぶつけたので、その席で命拾いした。

 

普通の住居なので電圧を限界に設定しても厳しく、冬場は暖房と全部のPCをフル稼働させたらブレーカーが落ちたので、みんなで厚着して暖房をいれずに仕事をした日もあった。2階で彼が持ってきたスルメを焼いたら、3階のイラストレーターに臭すぎると思いますと叱られた。

 

昼飯と夕飯については、近くのランチも開拓したが、基本的に時間も金もないので出前館を毎日のように使った。京香のカラアゲ弁当は毎週必ず1回は食った。あと、ご飯を炊いてだったかな?近くのスーパーでネギトロパック500円を買ってきて、醤油とわさびとご飯で食うネギトロ丼が流行った事があった

 

冷蔵庫の容量に限りがあるし、管理も面倒だしということで、彼はレッドブルと野菜ジュースを何箱も購入し冷蔵庫に置き、誰でも飲んでいい無料ドリンクとした。gloops時代、社内の自販機ジュースは半額で、皆それを気に入っていたから、いっそ無料にすればいいと彼は思った。

 

これは彼が自腹で行っていたものだが、後にグラニの社内福利厚生として、手厚い無料ドリンクシステムになっていたらしい。多分、ゲーム業界でグラニが一番ドリンクが手厚かったんじゃないかなと思う。見た限りでは

 

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徒歩圏内に住んでたのは谷直史さんと彼だけだったかな。だから、必然的に終電後まで残るのは谷直史さんと彼だった。谷直史さんは多分仕事がなくても最後まで残らねばならないと思っていたのか、会社じゃないと身が入らないのか、いつも遅くまで残っていたが、だいたいずっとしかめっつらで考え事をしていた。

 

この頃、谷直史さんが何に悩んでいたのか。想像するだけならできる。mobageでこのままリリースしていいのかとか、リリース時期とか、いろいろあったんだろう。経営者とは、悩むことと決断することが仕事で、それは精神力をゴリゴリ削る。この頃の谷直史さんは、それらを全て引き受けてくれる良い社長だった

 

それがわかりやすい話として、彼らはmobageでリリースすると思ってずっと作っていたが、完成が見えてきたある日、谷直史さんが急にGREEで出すと宣言した。たしか全社員(といっても10人いないが)を集めてした説明では、gloopsのちゃちゃ入れが怖いし、GREEには面白いゲームがないから勝てる!だった

 

ただ、その後夜中に2人になった時に雑談で聞いた話では、mobageとGREEを天秤にかけて両方に粘り強く交渉してきたし、GREEからついに素晴らしい条件を引き出せたから、リリースが遅れてでもそっちがいいという判断をした、と聞いた。初耳だった。

 

こんな交渉の存在すら知らずにいたし、勝手に谷直史さんが考えて決めて動いて、良い結果をもたらしたのだから、良い社長である。その時にGREEからの提携契約書もちらっと見せてもらったが、興味がないからペラ見してすぐに返した。内容は覚えていたので裁判で使ったし、請求したら黒塗り書面が出てきた

 

彼らがgloopsをやめたあと、gloopsはネクソンに売却され、当時の社長さんはファンタジスタばりの見事なゴールをきめたわけだが、そのあたりからgloopsのエンジニアがグラニの社屋を見物しにくるようになった。彼らは後に何人かグラニに入社したようだ。

 

これも、ひょっとしたら谷直史さんが指示してエンジニアの引き抜き工作をかけてたのかもしれない。わからない。別に当時知りたかったわけでもない。トップとして考えて勝手に動いてくれてたならそれでいい。組織とはそのグループ単位で長が自分より下を判断するものであって、クソくらえ民主主義だ

 

強くてバリバリ戦えた組織は、ネトゲにおいても、ベンチャー会社においても、下からは上の考えてることが何もわからないような独裁主義だった。国家はまた別だろうが、組織は独裁主義に限ると彼は思う。会社が大きくなると、独裁主義からルール主義に変化していくべきとも思うが