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ネトゲ戦記 第二部「三国志バトル」

三国志バトルチーム、当時赤壁の戦いになぞらえて社内コードはredだったか。redチームに入って、エンジニアリーダーの福永を紹介された。たしか、若くて技術はまだまだだが、チームを引っ張る能力には優れていて、立ち上げに向いているとかそんな説明だったか

 

redといえば、ヴァルハラゲートのグラニ社内コードはpurpleなわけだが、これはredと対となる予定だったコードがblueだったので、blueとredの要素を両方入れたゲームを作ってやりますよ!と彼が付けた。「名前」には興味がないが、こういうコードには興味が持てるのが不思議なところだ

 

まず最初に、redGvGの目玉を何にするかのMTGを行った。部屋の位置も思い出せる。左側右手奥の会議室だった。まだodinチームに残っていたが、谷さんのお気に入りということで入倉も参加して、彼、谷、入倉、福永が参加したと思う。

 

入倉君が谷さんのお気に入りというのは、毎朝谷さんがパックのジュースを2つ買ってきて、1つを入倉くんに選ばせ、2人でそれを飲みながらしばらく何か話し込むというのをやってたからそう思った。だから、谷さんが彼を裏切ったのは、入倉君の出来なかった仕事を取り上げたせいもあるんだろうか。

 

GvGの軸を想定しないと全体の軸が決まらないから、みたいな話だったかな。それが決まってないのに残り2ヶ月というのも凄い話だ。今よくよく考えてみると、彼が来なかったら、谷さんはredが大爆発して社内的に死んでいたのでは?

 

バトルの軸は、彼が提案した奥義システムになった。といっても、バトル部分は後にシンガポールから帰ってくる河合さんが作ってたと思うので、この時決める必要はなかったように思うが、全体に活気を取り戻すための儀式的なものだったのだろう。

 

マスタから全部好きに設計していいという許可は得たので、彼はこれまでodinのマスタで鬱陶しかったことや、もっと改善出来ると思ったことをすべて想定して、1からマスタを設計した。本当に上まで許可は通ってたのかは知らない。普通に考えると、他のPJすべてで使いまわしてるから、許可は下りない。

 

と同時に仕様書も書き、何も作っていなかったディレクターには「あんたはお飾りで置いといてやるから、俺の邪魔だけはするな」みたいなことを言ったと思う。唯一書かれていた仕様書と、完成していた「敵が青色で味方が緑色」のフラッシュムービーを全ボツにしたら反発したからだ。

 

なぜゲームにおいては敵は赤色で味方が青色であるべきなのか、警戒色って知ってるか、スパロボってやったことあるか。そんなことを言い争って、しかし唯一完成してたからか食い下がってきてウザいので、谷さんに判断してもらおうとなり、谷さんは彼についたので全ボツが決まった。

 

イラストは発注が5割くらいされていたが、武将もレアリティも適当すぎたのでマスタも全ボツにした。といっても、彼はブラウザ三国志や三国志大戦は遊んでいたが三国志はきちんと読んだことがなかったので、仕様書を書きつつ、通勤電車と家でひたすら三国志関連の書籍を読みふけった。

 

2ヶ月の間に読んだのが、蒼天航路と、横山光輝と、吉川英治と、北方謙三だったかな。途中で読み終わったので横山光輝と蒼天航路は読み直してたと思う。三国志のゲームは遊んでて、武将名に馴染みも興味もあったので読みやすかった。彼が一番気に入ったのは郭嘉だった。

 

と同時に、redでは予定していなかった、外部イラストレーターを起用することを絶対すべきだと彼がゴリ押したので、多分予算がついた。とにかく発注できることになったので、イラストレーターや漫画家で使いたい人を200人くらいリストアップして、全員に当たるよう指示した。

 

redがいかに完成してなかったかの説明としてわかりやすいのは、「劉備、関羽、張飛、曹操、夏侯惇、孫権、 孫堅、孫策、孔明、司馬懿」のイラストが発注されておらず、「中華風武将イラスト」が適当に20枚くらいだったか、発注されていただけだったというのがある。

 

このリストは彼が辞めた後もredで使われてたようで、彼が居た頃には使われなかった人も1年くらいかけて使われていた。他に彼が新しくredでやったこととして、イラストレーターの名前を出すことを押し通した。

 

当時、いや今もか。ソシャゲでイラストレーターの名前は何故か出ない。引き抜きを危惧しての事だろう。こんな聞いたこともない新興のゲーム会社の仕事を受けてもらうためには、何か面白いことをしなくてはならない。だから、うちのゲームは他と違ってイラストレーターの名前が出ますよ、と。

 

だから当時redだけがイラストレーターの名前が出ていた。彼はイラストレーターのような、自分にできないことで高い技能を持つ職人が好きなので、イラストレーターの環境改善に貢献出来たと嬉しかったが、それは普及しなかったようだ。多分redとpurpleくらいだろうか。FGOは掘れば出るんだっけ?

 

このあたりはこれまでの人生で一番忙しい時期だった、ということしか覚えてない。仕様に関する質問にも全て答えられるよう、その日のMPを使い切って本を読むしかできなくなっても終電まで会社に残り、家に帰って風呂だけ済ませて寝て、また朝出社する。そんな生活だった。

 

しばらくした頃、リリース不可能が確実視されていたredがなんとリリースできそうらしいという事で、企画が2人アサインされた。どちらも軽く話したら使えそうになかったので、好きに企画書とか書いてていいよといって放置した。一人は、グラニ設立に誘われずgloopsに残って、redの手柄を得たらしい

 

また、gloopsシンガポール拠点が潰れて河合さんが帰国した。といっても面識はなかったが、谷さんに誘われてなにか近所の高級中華のランチに河合さん、谷さん、彼で飯に行った気がする。谷さんは河合さんを引き抜こうとツバをつけに行ったんだと思う。

 

どういうやりとりがあったのか彼は全く知らないが、河合さんはredにアサインされ、バトル部分を作ることになった。初めて会ったときから会わなくなるまで、河合さんはずっとC#最高しか言ってなかった気がする。

 

追い込みのラスト2週間くらいのときに、彼はついに風邪を引いた。風邪をチームに広めると死ぬので、「風邪なので多分2日くらい休みますが、絶対に俺の出した指示に変更を加えないでください、何か質問があったら電話してください」と面と向かってディレクターに伝えて帰って寝込んだ

 

予告通り2日で風邪を治して出社すると、彼の指示が、理解できない理由で変更されたりしていた。今思うと、良かれと思ってやったのかもしれないが、まあ無能だ。彼は烈火のごとく激怒して、「俺かディレクターのどちらかを外せ、ディレクターが外されるまで俺はredの仕事はしない」とキレた。

 

ディレクターが外された。谷さんは彼に「水原くんをすぐにディレクターにしたらあんまりだから、一時的に俺がディレクターになるが気にしないでくれ」といって何故か何もしてないのにディレクターになった。当時のディレクターはインセンティブがあったので多分それのためだろう

 

ともあれ、チーム内では彼がディレクターだったので、彼は別にそれでよかった。邪魔な元ディレクターもいなくなり、red制作のすべての責任と権限が彼にある。これほど楽しい仕事は初めてだ。だからこの頃の記憶はない。予定どおりリリースできたことしか殆ど覚えてない。必死だったのだろう

 

みんなでレッドブルを飲んだ本数を競ったこと、彼が考えたフレーバーテキストで皆で盛り上がったこと、サンドボックスでガチャが回せるようになったら1時間くらいギャアギャア騒ぎながらガチャを回したら他のチームからクレームがきたこと、断片的な記憶は少しある。

 

バトル部分が最後の最後まで完成せず、河合さんはついに会社宿泊3日をこえ、髪がわかめのようになって臭いだしたので、皆で説得して無理やり家に帰したことは覚えてる。終盤はチーム全員がまさに死兵だった。あ、イラストレーターは終電で帰ってたし、企画2人に至ってはもっと早くに帰ってたか。

 

リリースが見えた頃、チーム皆で雑談してるとき、谷さんから、redは売上どれくらい行くと思う?と聞かれた。彼は、オーディンの2倍だと宣言した。この頃gloopsでは、同じゲームシステムで作ったゲームは、オリジナルとなったゲームの1/2の売上しかでないというジンクスというか前例があった。

 

谷さんでさえ、その前例をだして、こういうもんだよと言ったが、彼だけは2倍だと主張して譲らなかった。ちなみに、三国志バトルは彼らredチームがグラニとして抜けた後、gloopsの看板となったし、結果から言うと彼が正しかった。まあ彼は立ち上げにしか関わってないので、後継redチームが頑張ったのだろう。