空白雑記

暇つぶし

ネトゲ戦記 第一部「生い立ち」

物心のついた最古の記憶は3歳か4歳くらいだろうか。物心が付く前からとにかく本を読むのが好きで、毎晩寝る前に漫画を3冊くらい読むのが日課だった。ドラえもんとブラックジャックと三つ目がとおるがお気に入りで、表紙が剥がれてボロボロになるくらい読んでいた。

 

たしか日航機の事故をTVで見て、心底恐怖し、家族旅行で飛行機に乗るぞといった空港で日航機に乗ると告げられ、まだ死にたくないと死にものぐるいで椅子や植木鉢にしがみついて叫び倒し、日航機じゃない飛行機に変更させたのは覚えている。3,4歳だったかな

 

あとは同じ位の頃に、「夜ふかしをするとオオカミさんがきて食べられるぞ」と言われたので「ニホンオオカミは絶滅してるので、もしきたら捕まえれば大発見でっしゃろ」と返したら大爆笑されてそれから1年くらいずっとその件でいじられたのがうざかったのを覚えている

 

不意打ちで死にたくないというのは彼の行動原理の一つで、だから釣りや山登りや運転といった死につながる趣味を彼は好まない。部屋に引きこもるのが一番安全だというのは証明され続けている。ただ、理屈の合わないオオカミに食われるとかいった脅しは彼には通用しなかった

 

小学生のときに、うろ覚えだが当時はIQテストみたいなのが流行っていて、一斉に受けさせられたんだったか。とにかく、なにかそんなテストで異常値を出したということで、学校からお宅のお子さんは異常ですみたいな連絡がきた。それで彼の親は、タカを産んだのだと狂ってしまった

 

「お前は医者か弁護士になれ」と物心ついてまもない頃からずっと言われ、小学生の夏休みは週に6日、朝の9時から夜の7時まで塾に通わされた。小学生の思い出といえばずっと勉強をしていたことだ。暗記する系の勉強は特に嫌いだったが、地頭はあったのかそこそこ成果は出た。

 

あとはそう、小学校の時によくある、自分の名前の由来を聞くというクエストを受けて訊ねたところ、近所のお寺のお坊さんに付けてもらったと言われて自分の名前への愛着がゼロになったのを覚えている。彼は自分の子供には自分で名前をつけてほしいタイプだった。数多く読んだ本のどれかでそうだった

 

寄生獣でミギーが名前なんてどうでもいいというが、全く同意見だ。だから彼はゲームごとで名前をコロコロと変えた。今思えばそれが良かったのだと思う。FF11でtouyaと名乗ったら、ブラウザ三国志でAposと名乗ったら、多分面倒くさいことになっただろうから。

 

まあ、そんなこんなで東大寺学園高等学校附属中学校(正式名称)という、関西ではそれなりの進学校に入った。そこは、彼のような勉強嫌いでは中の下くらいになる素晴らしい学校だった。今思えば凄まじいコミュニティだった。一流企業でもそうそうない、その年代のトップクラスの学力しか居ないのだから

 

そのへんでやっと彼にも自我が芽生えてきて、親にパソコンをねだってインターネットをはじめた。インターネットは素晴らしかった。まさに魔法の箱で、情報を摂取することが好きな彼の要求に答えたし、UOはとんでもなく面白かった。彼は自分のやりたいことを見つけ、それは勉強ではなかった

 

彼は学校にいっても寝てるだけで、机で寝てると寝心地が悪いのでついには学校のロッカーの上で寝るぐらい学校の勉強を完全に捨てた。当然親が呼び出され、親は家庭教師をつけたり塾にいかせたりと解決策を探したが、彼はもう勉強が嫌いだったのですべて無意味だった。

 

もとから殴って言うことを聞かせるタイプの親だったので、気を失うくらい殴られるようになった頃、彼は殴られ倒した後包丁を持って構えた。父親が刺せるものなら刺してみろというので刺した。

 

刺したと言っても腕のスナップで刺しただけだし、相手も避けたので肩に刺さっただけだった。ただ、親を刺したと父親は泣き崩れた。刺せと言ったのはそちらなのに何故そういうか不思議だったが、病院にいったので家に一人になった

 

彼は、自分の人生を親に縛られるのが嫌だったので、彼を思いどおりにしようとしたらこれくらいの反撃ができるぞと示したかった。示せたので満足した。それでも殴られたらまた考えよう。UOをしていると、警官が家にあがってきた。どうかしたんですか?と聞くと鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた。

 

その行動には相当な効果があったらしく、彼は学校を中退できたし、自由に行動できるようになった。彼はのびのびと攻略本を作ったりネトゲ廃人にいそしみ、このまま家に居てもニートになるなと気づいたので大学に行きたいと申し出ると親は金を出してくれた。

 

近畿大学なので、母校の卒業生からすると下から数えたほうが早いような大学だが、受験戦争で勉強したおかげか、大検をとってするりと下の方の学部に滑り込めた。大学では哲学が面白い講師だったので真剣にうけて満点をとり、他は単位だけ取れればよかった。大学時代はFF11に夢中だった。

 

彼は親が毒親だとかそういうことを言うつもりはない。むしろ、ある程度彼の特性を伸ばしてくれたことや、育ててくれたこと、大学にも行かせてくれたことは感謝している。彼の人格を侵害しようとしたから争ったのであり、今は干渉しないようにしてるので何も問題はない。

 

だから彼は独り立ちしてからは親に頼ることはしたくなかったし帰省もしたくなかったが、谷さんと戦うために金を無心したら、顔を見せろと言われたのでそれはそのとおりだなと渋々帰った。谷さんはそんなつもりはないだろうが、ここでも谷さんへの恨みが増した。

 

そういえば東大寺を中退したくなったころ、でも負けっぱなしは嫌なので、一番気難しそうな高村先生の科学の授業だけを真剣にやったことがある。80点くらいを期末か中間で取って、高村先生が心から褒めてくれたのは彼の学校でのきれいな思い出の一つだ。

 

多分あの学校で、どうしようもない問題児になった彼にも公平に接してくれたのは、高村先生だけだったと思う。だから先生の授業で一度だけ真剣に勉強ができた。あれこそは恩師というべき、すばらしい先生だろう。