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ネトゲ戦記 第二部「Travianとブラ三のむかしばなし」

ブラ三の記憶は、UOやFF11の鮮烈な思い出に比べると彼の中ではとても薄い。ただ、ブログにまとめていたのを読み直すことで思い返すことはできた。彼はゲームが大好きなので、ブラ三も当然アンテナにかかっていたのだが、プレイしていなかった。

 

それはブラ三の元ネタでもあるTravianというゲームで負ったトラウマが原因だった。なのでまずTravianについてから語ろうと思うが、Travianなんて本当にコアなゲーマーしか知らないだろうから、ブラ三を元に語ろう。

 

Travianは、「ブラ三からカードやデッキの概念を消去して」「資源(木とか)が各町ごとに別々に管理されていて、荷馬車(速9だったかな?)」で資源を運ばないといけないという、気の狂ったブラ三だった。

 

だが、それでも「オンライン信長の野望シムシティ」とでもいうべき、マス目に実際の距離があり、時間をかけて戦争ができるゲーム設計にコアゲーマー達は目を輝かせて遊び、ただただシムシティをした。Travianにはカードの概念がないので、防衛があまりにも優位すぎたのもある。

 

なによりも戦争ができなかった理由は、「シムシティが忙しすぎた」ことだった。常に村同士で資源をやりくりしないと最適な村開発が出来ないので、効率が理解できる人ほど忙しくなるゲームだった。3時間おきに起きて荷馬車を出さないといけなかった。

 

今でこそそれが彼の強みだとわかってはいるが、当時はなぜ皆はそんなに不真面目に遊ぶのか、どうせゲームに時間を使うなら真面目に遊べばいいのにと憤るほど効率を追い求めた彼は、当然にサーバでトップクラスのプレイヤーになった。

 

Travian最強の攻撃は「米村」と言われる、ブラ三でいう★MAXの超レアな土地から資源を送り続けて、3時間おきに兵糧を送り続けないと兵士が餓死し始める規模の「大砲」を作ることだった。彼は当然大砲役になった

 

彼はついに大砲を限界まで鍛え上げたが、その大砲は最後まで撃たれることはなかった。みんなシムシティに忙しすぎて戦争をしようとなどしなかった。結局一度も戦争をしないまま、ずっと大砲を維持させられることに気が狂いそうになった彼は、ある日いきなりアカウントを削除した。

 

そんなトラウマがあったから、ブラ三が出始めた頃にすぐに飛びつくことができず、暇になったからちょっと触ってみるかと24鯖でプレイするまで遊ばなかった。もしTravianを知らず、初期にプレイしていたらもっと面白かったのかもしれない。

 

ブラ三の初期のブログを見ると、彼は初心者であるのにいきなり鯖トップのプレイヤーとなり、盟主に無能だと食って掛かり(一応本当にゲーマーとして無能だったぽいが)、鯖トップのプレイヤーとして立ち回って裏から自分の同盟を支配し、天下統一連合を作らせた。彼はまだ青く、自信にだけ満ちていた

 

"空白は2000万課金してるから強いのは当然"なんて嘘もささやかれるくらいには強かったらしい。実際は初期は2万くらいで、盟主になってから月2万くらいだったかな?多分24鯖とはいえ異常な強さだったのではないかと思うが、彼はブラ3に遅れてハマった負い目から、所詮24鯖は後発鯖だと思っていた。

 

FF11でリーダーを張っていたタル組終盤でのCion事件や、その後の1年間のグダグダを経験した彼は、盟主が無能だと噛み付くくせに、盟主にはなろうとしなかった。これもトラウマのせいだと言えるだろう。一期の盟主は無能すぎたので、二期は自分に全権を委任してくれるお飾りの盟主を選んだ

 

同盟の実権を手にした彼のスローガンは「平等よりも公平」だった。当時のブラウザ三国志の常識は、とても日本的というべきだろうか、平等な同盟運営がヨシとされていた。彼はこれまでの経験から、平等な羊の群れの中、公平な狼のようなギルドになれば勝てると考え実行した。

 

平等と公平の違いを最も実践したのが僻地不要論だろう。当時ブラ三では、僻地と呼ばれる大草原をいかに全員で協力して囲い込み、領土とするかというプレイが基本中の基本だった。囲い込んだ後、領地の配分が行われ、同盟全員がまんべんなく強くなる。

 

この僻地領地化は、彼の同盟以外すべての同盟が実践していたが、彼はあまりにも効率が悪いと、「領地はすべて実力で切り取り次第」というルールで全員に自由に領地を作らせた。その結果、雑魚いやる気のないプレイヤーは完全に雑魚となり、最強にやる気のあるプレイヤーが最強になった。

 

ブラ三は「効率倍々ゲーム」なので、最強のプレイヤーが3人いれば雑魚100人を敵にしても勝てる。この頃彼がずっとスローガンにしていたのは「ゲームは所詮生活には不要な娯楽」というもので、これはセガに入社して作る側に回ったことで思うようになった考え方だった。

 

「ゲームは所詮生きていくのには不要なもので、だからこそ素晴らしいゲームを作るクリエイターは素晴らしいし、そんなゲームに必死になれるプレイヤーも愛すべき素晴らしいものなのだ」という考えだと気づいたのはもっと後のことだった。当時はやる気のないやつはしょうがないという考えだった

 

他が足の引っ張り合いをしてるなか、最強のルールで最強精鋭部隊を作った後のブラ三は、とても楽しいかと思ったが、蹂躙するだけの戦争は一回やったら十分で飽きてしまった。後に統合される近縁のサーバにhttps://twitter.com/lalha2氏が居た。ブログを読む限り、氏だけは彼の歯ごたえのある遊び相手になりそうだった

 

どうもこのゲームにおいて彼は強すぎて、相手になりそうなのは半年くらい先に統合されるこの人くらいだなと思った彼は、lalha氏とネチネチとブログでレスバをしていた。そうこうしているうちに、何故か仲良くなり、実際にリアルで会って飲みに行った。ブラ三は戦う前にもう飽きて辞めた。

 

経営者の先輩ということでグラニ設立の際にはいろいろと相談に乗ってもらったし、死にかけて一文無しだった時には恥を忍んで裁判費用を貸してもらった。最初の裁判に勝利したときには、ワインが好きな氏と、2人でお祝いにロマコンを生まれてはじめて飲んだ。一生頭があがらないであろう人の一人だ。

 

今振り返ってみると、ブラ三というゲームはあまりにも彼と相性が良すぎた。仕様を把握して最適な行動を取るだけでよく、アクション性が皆無のブラ三において、おそらく彼は本当に最強のプレイヤーだった。強すぎてつまらないくらいには。

 

ただ、そのおかげでブログはAmebaブログでも上位になり、その縁でリアルで一生頭があがらないような人と知り合えたのだし、自分の特性を把握することもできたので、ブラ三は彼にとってとても良いゲームだったように思う。